rekoba2004-02-17


遅ればせながら、綿矢りささんの「蹴りたい背中」を読みました。
単行本で買っても良かったんですが、どうせ文芸春秋に載るなら、と、
貧乏人根性が発動してしまい、結局、こんな時期になってしまいました。


おまけに、今回の文芸春秋はもうすでに100万部を売ったとかで、
本屋さんとかでもあんまり売ってないんですよね…
いろいろ探して、駅のホームのキオスクでようやく発見。
勇んで購入いたしました。


しかし、今回の芥川賞は、作品の評価云々よりも
「最年少受賞者」という単語が一人歩きしているような…
そのせいか、近年の芥川賞はキャラ重視だとか、
低迷する出版業界を復活させるための話題作りだとか、
批判的な意見もかなり目立ちましたよね。


で、当の内容の方はどうなのか?


ぼくは文芸評論家ではないので、専門的な話はできません(するつもりもありませんが)。
なので、この本を読んでぼくが感じたことを書きたいと思います。


世間では世界が狭いとか、文章が稚拙だとか、
言われてますが、彼女の能力が低いとは思えません。
というよりも、19歳にして、
ここまで現代的な人間関係をシレッと描写できてしまう、
彼女の洞察力と表現力に感嘆さえしました。


主人公の“私”はクラスにうまく溶け込めない高1の女の子。
そしてもうひとり、クラスに必ずひとりはいるオタク系の男子“にな川”。
物語は“私”の視線を通して、学校内のかりそめの人間関係に対して感じる違和感、
そして、にな川のおかしげな行動を中心にして語られます。


上辺だけの人間関係には同化したくない。でも、独りはツライよ。
そんな風に思う“私”に、我が道を行く“にな川”はどう映ったか。
それは、ある面では嫌悪であり、別の面では好奇でもあり。
そしてまた別の一面では、世渡り下手な姿に自分を見ていたのかも。


好きな娘だから、あえて、いじめてしまう。


そんな心理表現ってありますよね。
“私”が“にな川”に抱いていた気持ちって、それに近いんじゃないかな。
これって、好きなヒトの気を惹きたいっていう、
ものすごく単純な心理表現ですよね。
もちろん、それがすべてだとは思わないし、
もっともっと微妙なニュアンスがあるんだろうけど。


“私”が“にな川”に抱いていたものは、
決して恋愛的なものとしてのそれではなく、
ヒトとヒトとの繋がりにおけるものとして
表現されたんじゃないのかなって思います。
だから、ふたりの関係はとってもイビツだけど、
上辺だけで楽しいふりをしてる浅薄な人間関係より、
よっぽど息苦しくなくて、自然だったりする。
だから、“私”にとって“にな川”の背中は
蹴りたい背中」だったんじゃないかな、って思いました。


主人公の“私”と綿矢さんのイメージって、ダブりません?