大いなる序章

日記を書くと言って、一番最初のネタがコレかよ。
なんかぼくという人間を最も端的に表しているような気がするなぁ。
ふぅ…

まぁ、しかし、ぼくは10代の頃から憧れてたわけですよ、AV女優のサイン会には。なんでって、あなた、だってテレビの中でハンハン言って、あんな格好やそんな場所で、ここにもそこにもいろんなモノが…………あぁ!悩ましい!!正直、ぼくから言わせれば、AV a.k.aアダルトビデオなんて、ドラゴンボールとかとそんな変わんないんワケですよ。だって、あり得ないもん、アンナ状況。

そこのドラゴンボール好きのあなた!
悟空が目の前で「クリリンくんが危ない」とか言ってるのって、あり得ないでしょ。同じようにぼくも目の前でAV女優が「初体験12歳です」と言うのもあり得ないわけですよ。それに常識的に考えて、AV女優本人に会えばいつもの鑑賞にはないヴァーチャルな感動が得られるでしょう?

そんなこんなで20代も半ばを過ぎて、彼女らとの邂逅がようやく実現したわけです。

で、今回逢ったのは、デビューしたての新人さんである「香山聖」ちゃんと同じく新人の「月野はるか」ちゃん。
特に「香山聖」ちゃん(以下ヒジリン)は、ぼくが目を付けていた期待の新人。我が地元にいきり立つAV総本山ライベックスというレンタルビデオ店で、まだデビュー前の彼女の販促用ポスターを見つけたとき、ぼくは腰を抜かしそうになるくらいビビリましたよ。むっちゃ、好み。ショートカット、色白、スレンダー。結婚したい。ええ、ヤバいです。

そんなヒジリンのセルDVD発売記念の握手&サイン会。

ぼくは基本的にAVはDVDで買うほうなんです。でも以前はエロの総本山ライベックスで狂ったようにビデオを借りて、燃える思いでダビングして、萌える想いでマイAVを編集していました。しかし、そんな狂おしいエロビデオにも唯一弱点があります。いやエロビデオというより、ビデオというメディア自体の弱点とでもいいましょうか。それは、再生や巻き戻し、早送りの際に生ずる「ガシャ」とか「ウィーン」とか「キュルキュルキュル」というデッキの音がやかましいということです。通常のビデオ作品(映画など)を鑑賞する場合には、何の問題もないことなのですが、エロビデオに限って言えばこれは決定的な弱点です。

自室がある人には、なんのことだかわからないでしょう。
だけど、自室にビデオデッキorテレビのない、もしくは自室がない、居間で家族が寝静まった頃おもむろに鑑賞する野武士たちなら、ぼくの言うことがわかるはずだ。家族の一挙一動に対し細心の注意を払い、麗しの音声もヘッドホンでそのダイナミズムを満喫する。そんな漢ならば……
家族の寝静まった深夜に居間でAVを楽しむ際、一番気を付けなければならないこと。それは家族にそこで観ていることを気取られてしまう(家族が起きてくる)、という一点につきます。これは、当然のことでしょう。AVは元来ひとりで楽しむもの。そう、言ってみれば、男の孤独を具現化した崇高なものなのです。本来的に言えば、ラブホ等で彼女と観るなんてもってのほか。風の流れの機微さえも感じられる、静寂な部屋で過ごす官能のひととき。これぞAvの醍醐味と言っていいでしょう。

DVD登場以前の私は、ビデオカセットをデッキに入れ(ガチャ、ウィーン、ガチャ、ガチャ)、再生ボタンを押し(カチョカチョ、ウィーン)、フェラシーンを早送りをし(キュルキュルキュルキュル)、騎上位で女優自ら腰を振るシーン、もしくはピンクローター攻撃等で痙攣しながらイクシーンをエンドレスで巻き戻す(キュルキュルキュルキュル、ガシャ、ウィーン、キュルキュルキュルキュル)。
見てください、このカッコ内の効果音。こんなんじゃ、まともに作品に集中できません。うるさすぎます。親が起きるっちゅーねん。たしかに緊張感あふれる中でのオナニーも格別です。想像以上にストイックな自分を再確認できる。しかし、毎日これじゃあ、いくらなんでも身(というか精神)が持ちません。

そんな時、我が家にやってきたDVDプレイヤー。これは夢のメディアでした。肌のきめ細かさまでも表現できる高画質(顔射のシーンにおけるリアリティ、アクメ顔の眉間のシワ。すべてが違います)、迫力の音響(まるで耳元であえがれてるかのようです)。そして、なにより再生音がほとんどない。ぼく的には、これが一番大きい。スパイ大作戦からミッションインポッシブルになったくらいの技術革新です。家族スヤスヤ、チンコパンパン。

DVDプレーヤーの導入で、ようやく安心してオナニーできるようになったぼくは、それこそ狂ったようにDVD(無論エロ)を購入しました。給料が入ったらDVD(無論エロ)。会社でイヤなことがあるとDVD(無論エロ)。酒に酔ってご機嫌だとDVD(無論エロ)。気がつけば、ぼくのCDラックにはDVDばかりが並んでいました(くどいようだがエロのみ)。

こんな状態だと、何が良くて悪いのか、わからなくなってきます。ぼくは自分の絶対的な価値基準を見失っていたのです(無論エロ限定)。そんな時、ぼくはヒジリンと出会ったのです。

【つづく】